黄 秀 彦 ファン・スオン
hwang sooeon
[ うた・ギター・朝鮮農楽打楽器 ]

1949年東京生まれ。独自の表現を続ける朝鮮農楽と民謡の演奏者であり、「在日」を生きてうたう弾き語りシンガー。

 

 

photo=2009年7月、還暦ライヴにて

 <略歴>

 

少年時代/1960年代
 東京多摩地区の飯場に生まれ育ち、日本の学校に通う。
 14歳から高校時代にかけては、ビートルズなどに影響を受けエレキギターを手にして歌うバンド少年だった。武道館でのビートルズ来日公演も体験している。

高校卒業後/1970年代
 先輩の影響を受け朝鮮系の民族運動に参加し、朝鮮半島の歴史や文化を学びながら生きる。
 この10数年のあいだは、“アメリカナイズ”を拒否し、ロックやジャズなど10代の頃好んでいた西洋の音楽からも遠ざかる。

30歳代/1980年代
 朝鮮民謡・農楽打楽器を習い始める。そして韓国民主化闘争の影響の中、マダン劇の活動などにも参加。
 詩や歌で社会に参加してゆく方法を見いだしてゆく中、「中野くさのねコンサート」などがきっかけとなり、再びギターを手にし、自作の唄を歌い始める。
 この頃から40歳代後半までは、黄祐哲(ファン・ウチョル)という名で活動。

40歳代/1990年代
 水道屋を生業としながら、朝鮮農楽チームの活動とともに、ギタリスト飯島晃氏らと結成した「黄バンド」でのライヴ活動など、多方面で歌い続けてゆく。

50歳代/2000年代
 50歳代後半から朝鮮伝統音楽・民謡を再び一から学び始める。
 また、2004年からは現代舞踊チームの舞台に参加し表現の幅をひろげてゆく。
 自作曲の弾き語りライヴは、フルスイングレコード主催のライヴを中心に継続。そして2006年夏に、弾き語りライヴの記録音源集「ばぁちゃんへのうた」を発表。

 2008年頃より、朝鮮民謡・農楽教室を主宰。
 還暦を迎えた2009年夏、新宿ゴールデン街劇場で単独公演。

60歳代/2010年代

 2009年6月、ケグリで「ダンス白州」に出演。
 

そして今日にいたるまで、市民の手による祭などを中心にさまざまな場に出演し、そのリズムと歌を響かせ続けている。

 


(photo・text by Kobayashi Naoki)